2019年10月15日
私は、幸せならば、日本人は天皇を護らなければならない、と論じました(日本人の生き方論)。
しかし、天皇を護らなくてもよい、むしろ否定すべき日本人もいます。
例えば、自分は日本国民ではない、と考える人です。
このように考える人は、次の二通りに分けられます。
まず、私は日本人ではなく、私という個人である、と考える人です。
例えば、分類上日本人でありながら、日本を嫌う人は、日本と自分との繋がりを断とうとするでしょう。
あるいは、思想や世界観、生命観として、国家という共同体や歴史を否定する人もいるでしょう。
次に、私は琉球国民だ、あるいはアイヌ人だ、と考える人です。
日本の紀元、つまり神武天皇が即位した時点では、いまの北海道と沖縄県は日本に属していませんでした。
よって、日本人の中には、日本の歴史を遡るだけでは自らの存在が明らかにならない人もいるでしょう(今の北海道とアイヌはほとんど関係無いかと思いますが)。
しかし、そのような人でも、現在日本人として自由、平等、幸せを享受し、日本人という国民意識を抱いているならば、それはなぜでしょうか。ヤマト民族の人が、北海道民や沖縄県民と同胞意識を抱くのはなぜでしょうか。
北海道民や沖縄県民も、道や県としてではなく、日本としての平和の上で暮らしが成り立っています。
これらを解明するためには、やはり北海道民や沖縄県民も、自らと日本の繋がりを認めなければなりません。
ただし、自らの存在は、日本史(ヤマトの歴史)だけでは明らかにならないかもしれません。
自分は日本国民であると認めても、天皇を否定すべき人もいます。それは、自分は理不尽に不幸だと考える人です。
日本国民として生まれても、自分が悪いわけでもなく、辛く、苦しい生活をしている。それは、日本という国があり、その歴史があり、その先端を生きているために生じている災いです。日本との繋がりを認めることで自らの不幸が明らかとなるならば、その人が日本を憎み、恨み、呪い、日本との繋がりを断ちたいと望むのは当然です。
天皇は、(1)幸せな(2)日本国民によって護られるべき、日本及び日本国民統合、そして日本の歴史の象徴です。
皇紀2679年10月15日
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