カネとは何だろうか 趣味と仕事を比較して考える

2020年5月22日

 

最近、ある方のお話を聞く機会がありました。

その方は、会社で働きながらも、趣味で作品を生み出している方でした。

そして、その方は、できることならば、その趣味を仕事にして生計を立てたいと考えていらっしゃるようでした。

(たぶんこういう内容のお話をされていたと思います。間違っていたらすみません、お詫びいたします。)

 

ここまでは問題ありません。実現できたらいいだろうなと、私も思います。

 

ところが、その方のお話を聞くと、私にとっては違和感を覚えることも口にされていました。

その方は、自分の作品の需要をどう生むかで悩んでおられました。

 

「どうやって需要を生むか」

 

これを聞いたとき、私は心の中で、「ん?」となりました。

ただし、その時は、なぜこのご発言、お考えに違和感を覚えたかわかりませんでした。

 

まあ、ゴーストの囁きってやつです。

 

なぜ違和感を覚えたのか。

ここでは、その理由を考えて述べることにします。

 

私たち個人または法人は、欲しい商品を購入します。

企業は、商品を生産します。企業の意義は、商品を生産して個人や法人の需要を満たすことです。

 

商品を生産し、その対価としてカネを受け取る。これが、企業の営利事業です。

よって、合理的な企業活動とは、個人や法人が欲しいと望む商品の生産です。需要を満たすほど、企業は利益を得ます。

 

つまり、売れる商品を生産することが、営利目的の生産です。

企業は、どんな商品が売れるかを調査して、考えてから、商品を生産します。

 

一方、趣味で作品を生み出す場合は、自分が創りたい作品を創ります。需要を満たすためではありません。

だからこそ、趣味の作品を売ろうとするならば、「どうやって需要を生むか」という考えに至ります。

 

すなわち、私が述べたいことは、需要は「生む」ものではなく、「満たす」ものだということです。

ゆえに、利益を得て生計を立てようとするならば、どうやって需要を生むかではなく、どうやって需要を満たすかを考えるべきではないでしょうか。

 

ですから、営利事業として作品を創りたいのであれば、自分が創りたい作品ではなく、個人や法人の需要を満たす作品を創らなければなりません。

もし自分が創りたい作品に需要がなければ、それは企業の営利事業として成り立ちません。それを仕事とすることはできず、あくまで趣味として活動を続ける他ありません。

 

私はここで、

「趣味は仕事にできない。現実は厳しい。」

などと言いたいわけではありません。

 

ここで私が言いたいことは、利益とは何か、カネとは何か、ということです。

 

どんなに質が高い作品でも、誰も欲しがらなければ、その生産に価値はありません。合理的です。

逆に、どんなに粗悪な商品でも、多くの人が欲しいと望むならば、その生産の価値は高く、相応の対価(利益)を得られます。合理的です。

 

カネは、高い技術や善良な目的に支払われるわけではありません。

カネを支払うか否かの基準は、それを欲しいと望むか否か。これだけです。

 

需要を満たすことで得られる、需要を満たさなければ得られない。それが、利益であり、カネではないでしょうか。

 

皇紀2680年5月22日