2020年7月18日
前回の記事では、日本国憲法第9条と、その元である「総司令部案」及び「マッカーサー・ノート」の条文を比べました。
ポイントは、
・「マッカーサー・ノート」では、戦争を放棄する条件として「and even for preserving its own security」(自らの安全を維持するためでさえも)という記述があったこと
・「総司令部案」では、力による脅迫または力の行使を放棄する条件から先の記述が消えていること
・正式な日本国憲法にも、やはり武力による威嚇又は武力の行使を放棄する条件に「and even for preserving its own security」という記述が無いこと
でした。
なぜでしょうか?
今回は、その秘密を探ることで、日本国憲法第9条の正しい解釈を考えます。
さて、戦争には、「紛争解決のための手段としての戦争」と「自己の安全を保持するための手段としての戦争」の二種類があります。
このうち、「紛争解決のための手段としての戦争」の規定は、既に1928年パリで署名された「戦争ノ放棄二関スル条約」(パリ不戦条約)に存在していました。
そして、この規定は自衛戦争を排除するものでないことを、条約の推進者たるアメリカの国務長官フランク・ケロッグとフランスの外相アリスティード・ブリアンがはっきり言明しているそうです。
「紛争解決のための手段としての戦争」と「自己の安全を保持するための手段としての戦争」が区別して書かれていた「マッカーサー・ノート」を読む限り、マッカーサーはそれを理解していました。
「マッカーサー・ノート」を基にして総司令部内で憲法草案(総司令部案)が作成されたことは、ご承知の通りです。
この時、「マッカーサー・ノート」を書き改めた人がいました。それが、チャールズ・L・ケーディスです。
ケーディスは、「マッカーサー・ノート」の第二原則(戦争放棄条項)から「自己の安全を保持するための手段としてさえも」の部分を完全に削除し、新たに「(武)力による威嚇または(武)力の行使」を付け加えました。
駒澤大学名誉教授の西修氏は、1984年(昭和59年)11月にケーディス宅を訪れて、この件について本人に子細を尋ねています。
ケーディスは、
「1928年の不戦条約が成立した時、私はハーバード大学ロー・スクールに在籍していました。それゆえ、『マッカーサー・ノート』にあった『紛争解決のための手段としての戦争放棄』と『自己の安全を保持するための手段としての戦争放棄』の違いを理解していました。日本国憲法に『自己の安全を保持するための手段としての戦争放棄』まで書き込むのは、非現実的と思い、削除したのです。どの国も『自己保存』の権利を持っています。日本国にも当然、『自己保存』の権利として、『自己の安全を保持するための手段としての戦争』は、認められると考えたのです。(後略)」
と答えました。
ケーディスが修正した「マッカーサー・ノート」は、ホイットニー民政局長を介在してマッカーサーに届けられました。その後、ケーディスの案文には何の修正もありませんでした。つまり、この修正「マッカーサー・ノート」が、マッカーサーにも認められたのです。
このような過程を経て、日本国憲法「総司令部案」は作成されました。
ここまでのポイントは、
・マッカーサーは、「紛争解決のための手段としての戦争」と「自己の安全を保持するための手段としての戦争」の違いを理解していた
・「マッカーサー・ノート」の第二原則(戦争放棄条項)を書き改めたケーディスも、二種類の戦争の違いを理解していた
・ケーディスは、「日本国にも当然、『自己保存』の権利として、『自己の安全を保持するための手段としての戦争』は、認められると考え」、「マッカーサー・ノート」から「自己の安全を保持するための手段としてさえも」の部分を削除した
・二種類の戦争の違いを理解しているマッカーサーも、ケーディスによる修正案文を認めた
ことです。
その「マッカーサー・ノート」から「総司令部案」が作成され、後の日本国憲法となりました。
つまり、日本国憲法の起草者は、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」(自衛戦争)を日本に認めているのです。
よって、日本国憲法(第9条)は、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」を認めています。これは、日本国憲法第9条を正しく解釈するための要件です。
日本が自衛のための戦争をするためには、何らかの力であり組織が必要です。
そして、この力であり組織は、「陸海空軍その他の戦力」ではない「何か」でなければなりません。
この「何か」こそ、現在の自衛隊です。
したがって、自衛隊は合憲です。
いかがでしたでしょうか。
これで、自衛隊は現在の日本国憲法の下で合憲であることが納得していただけるのではないでしょうか。
自衛隊は合憲であることを示すために、当初は2回の記事で済むだろうと考えていたのですが、実際には4週もかかってしまいました。
憲法9条と自衛隊に関する記事はまだまだ続きます。
長くなってしまいますが、引き続きこの議論に参加していただきますよう、何卒お願い申し上げます。
来週もどうぞご期待ください。お楽しみに。
本記事の参考文献
西修(2012)『図説 日本国憲法の誕生』,河出書房新社.
皇紀2680年7月18日
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