2020年8月21日
前回の記事では、憲法9条2項の条文「国の交戦権は、これを認めない」の日本政府の解釈を確認しました。
しかし、「交戦権」という用語に明確な定義が無い以上、その解釈が正しいかを検証することはできません。
そこで、今回は、結局のところ自衛隊は憲法上日本国と日本国民を守ることができるかを検証します。
「国の交戦権は、これを認めない」
ポイントは、認められていないのは「国」の交戦権であり、「自衛隊」の交戦権ではないことです。
例えば、人民解放軍(シナ共産党の軍隊)が一方的に日本に攻めてきたとします。
日本政府は、人民解放軍の撃退・日本国及び日本国民の防衛を自衛隊に命令します。
自衛隊は、日本政府の命令に従い、人民解放軍に応戦します。自衛隊と人民解放軍は、交戦状態になります。
自衛隊は、日本国及び日本国民の安全が確保されない限り、人民解放軍を攻撃します。これにより、自衛隊が人民解放軍の兵士を殺傷することもあるでしょう、人民解放軍の兵器を破壊することもあるでしょう。
この戦闘で、幸いに自衛隊が人民解放軍を撃退したとします。自衛隊は、日本国及び日本国民の安全が確保されない限り攻撃していました。おそらく、攻めてきた人民解放軍は全滅、もしくは撤退したのでしょう。
日本国および日本国民の安全が確保されました。自衛隊は、撤退した人民解放軍を追うことなく、ましてシナ共産党の本土まで攻め入ることもありません。
人民解放軍を撃退した時点で、自衛隊の任務は完了です。それ以上の行動は、命令違反です。自衛隊は、この時点で撤収しました。
さて、この例の場合、日本(『国』)は「交戦権」を行使したのでしょうか?
日本政府は、人民解放軍の撃退・日本国及び日本国民の防衛を自衛隊に命令しました。これは、日本(『国』)が交戦権を行使したことになるのでしょうか?
人民解放軍は、一方的に攻めてきました。日本は、この脅威から自らを守りました。
日本は、シナ共産党と戦っていたわけではありません。戦う意思もありません。
それでも人民解放軍が攻めてきました。
つまり、日本(『国』)は、「シナ共産党と」戦うことなく、自らを守ろうとしました。
よって、この例では、日本(『国』)は交戦権を行使していません。
それは、たとえ「交戦権」の意味が「戦いを交える権利」だったとしても、どのような意味であろうとも、です。
なぜなら、そもそも日本(『国』)は「シナ共産党と」交戦していないからです。交戦状態でないのであれば、日本(『国』)は「交戦権」を行使しようがありません。
交戦状態だったのは、「自衛隊」と「人民解放軍」です。
日本国及び日本国民への脅威を排除する限り、自衛隊が人民解放軍と交戦しようと、憲法9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」に反することはありません。
むしろ、人民解放軍が攻めてきても「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」(憲法13条)を守ろうとしないのであれば、その場合こそ日本政府の憲法違反です。
日本国及び日本国民が脅威にさらされるのであれば、日本政府はそれを排除するよう自衛隊に命令を下さなければなりません。
もし日本政府がこれを超える目的の命令を自衛隊に下し、それによって自衛隊が人民解放軍もしくはシナ共産党を攻撃するならば、それは日本が交戦権を行使したことになるでしょう。憲法9条2項は、これを禁止しています。
最後に、憲法9条2項「国の交戦権は、これを認めない」の日本政府の解釈を、もう一度確認してみましょう。
(「防衛省・自衛隊」 憲法と自衛権 2.憲法第9条の趣旨についての政府見解 (4)交戦権
https://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html)
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。
どうでしょうか。
「交戦権」の意味はともかく、日本は自衛権を行使できるという日本政府の解釈は、これまでの私の論とかなり近いのではないでしょうか。
日本は自衛権を行使できる。憲法9条はそれを禁止していない。
これが、本記事の結論です。
次回は、この結論をさらに裏付ける「分析」をします。
次回もどうぞご期待ください。お楽しみに。
皇紀2680年8月21日
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