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憲法9条と自衛隊(2)国の交戦権は、これを認めない (Ⅳ)「マッカーサー・ノート」の分析

2020年8月28日

 

前回の記事では、憲法9条が国の交戦権を認めていなくても、憲法上自衛隊は日本国及び日本国民を守ることができることを解説しました。

 

さらに、それは交戦権の意味は不明であるとしても、「国の交戦権は、これを認めない」という条文の日本政府の解釈にかなり近いと考えられます。

すなわち、憲法9条は日本の自衛権を認めていることが明らかとなりました。

 

今回は、この結論をより確かなものとするために、「マッカーサー・ノート」を分析します。

早速、「マッカーサー・ノート」を改めて読んでみましょう。訳は前回(憲法9条と自衛隊(1)自衛隊は合憲である (Ⅲ)「マッカーサー・ノート」及び「総司令部案」)と同じです。

 

 

3-10 マッカーサー3原則(「マッカーサーノート」) 1946年2月3日(国立国会図書館)

  

War as a sovereign right of the nation is abolished. Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security. It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.

 

No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.

 

(訳)国家の主権としての戦争は廃止される。 日本は、その(自国の)紛争を解決するための手段として、さらには自らの安全を維持するための手段としてさえも、それ(戦争)を放棄する。 それ(日本)は、その防衛と保護を今や世界を動かしているより高い理想に委ねる。

 

日本の陸軍、海軍、空軍は今後一切許可されず、そしていかなる日本の力にも交戦権(交戦状態の権利)は今後一切与えられない。

 

 

ポイントは、「マッカーサー・ノート」の後半(つまり現在の憲法9条2項に対応する部分)の「any Japanese force」です。

私はこれを、「いかなる日本の力」と訳しました。

 

「force(s)」には、「軍隊」という意味もあります。ですから、「Japanese force」を「日本の軍隊」と訳すこともできなくはないのかもしれません。

 

しかし、その前の時点で、「No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized」(日本の陸軍、海軍、空軍は今後一切許可されない)と書かれています。

もしJapanese force」が「日本の軍隊」ならば、「マッカーサー・ノート」の後半部分は、「日本の軍隊は認められない。そして日本の軍隊には交戦権が与えられない。」という意味になってしまいます。これは矛盾です。

 

なぜなら、これでは、「日本の軍隊は認められない。だが、日本の軍隊は存在する。」ことになるからです。

「日本の軍隊には交戦権が与えられない」のであれば、交戦権は与えられないが、日本の軍隊は存在することになります。

しかし、その前に、「日本の軍隊(正確には陸、海、空軍)は認められない。」と書かれています。

 

日本の軍隊が認められないのであれば、日本の軍隊が存在することはありません。

日本の軍隊が存在しなければ、日本の軍隊に交戦権が与えられるか否かという問いは生じません。

 

ですから、Japanese force」を「日本の軍隊」と読むことはできません。

 

そこで、「any Japanese force」を「いかなる日本の力」と訳しました。

これならば、「マッカーサー・ノート」の後半部分は、「日本の軍隊は認められない。そしていかなる日本の力にも交戦権は与えられない。」となり、意味が通ります。

 

!!

 

そうなのです。「マッカーサー・ノート」では、「国⦅日本⦆」ではなく、「日本のいかなる力にも」交戦権を認めていなかったのです!!!

 

もし「マッカーサー・ノート」のこの条文がそのまま日本国憲法に採用されていたら、「交戦権」の意味次第で、自衛隊は違憲になり得ます。日本には自衛権すら認められないとも考えられます。

 

ところが、「マッカーサー・ノート」の「any Japanese force」は、「GHQ草案」では「the State」(国家)に変更されています。

 

 

3-15 GHQ草案 1946年2月13日(国立国会図書館)

 

Article VIII. War as a sovereign right of the nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.

No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.

 

(訳)第8条 国の主権としての戦争は廃止される。 力による脅迫または力の行使は、他の国との紛争を解決する手段としては永久に放棄される。

陸軍、海軍、空軍、またはその他の戦争の可能性(その他の戦力)は今後一切認可されず、そして交戦状態の権利は今後一切国家に与えられない。

 

 

ご承知の通り、この「GHQ草案」が、現在の日本国憲法の元になっています。

 

「マッカーサー・ノート」から「GHQ草案」が作成される過程で何があったのでしょうか?

わかりませんが、もしGHQが日本に自衛権すら認めないつもりであったならば、「マッカーサー・ノート」の「any Japanese force」を「the State」に書き換えることはありません。

もしマッカーサーが日本に自衛権すら認めないつもりであったならば、この書き換えを認めることはありません。

 

GHQは「マッカーサー・ノート」をわざわざ書き換えた。マッカーサーもそれを認めた。これには、必ず何らかの意図があります。

その意図こそ、「マッカーサー・ノート」では認めなかった日本の自衛権を、日本国憲法で認めることではないでしょうか。

 

したがって、以上の分析からも、憲法9条は日本の自衛権を認めていると考えられます。

 

いかがだったでしょうか。自分では正確に分析できたと思っています。

それにしても、どのような経緯があってこのように書き換えられたのでしょうか?謎です。

 

次回は、自衛隊の重大な問題について解説します。

これまで論じてきたように、憲法上は、自衛隊は日本国及び日本国民を守ることができるはずです。

しかし、現在の自衛隊(というより『自衛隊法』)では、実際上は日本国及び日本国民をほとんど守ることができません。それはなぜかを解説します。

  

次回もどうぞご期待ください。お楽しみに。

 

 

皇紀2680年8月28日