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多数決と政治(2)多数決とは

2021年1月8日

 

先週の「ロゴスの間」(ブログ)では、「なぜ多数決か」 を問いました(多数決と政治(1)問い『なぜ多数決なのか』)。

 

「当たり前だろ!」

 

と言われても、論理的説得力は皆無です。

私は、「当たり前だろ!」と言われる限り、永遠に「なぜ?」と問います。

 

そもそも多数決は「当たり前」でしょうか?

 

例えば、集団の中で決め事は少数の賢者に委ねるという合意があれば、(少数の賢者の中では多数決であったとしても)集団全体では多数派の意見が採用されるとは限りません。

 

例えば、小中学校のクラスでは、多くの場合決め事は教員が決めます。

たとえ生徒が会議を開き、多数決でクラスのルールを決めようとしても、教員がそれを認めなければ、ルールとして採用されません。

 

このように、少数決にも理がないわけではありません。

 

多数派の意見が採用される、これが多数決です。

ここで、

 

「なぜ?」

 

と問われると、多数派の意見だから、と答えることができるかもしれません。

しかし、ここで再度

 

「なぜ?」

 

と問われた時、「当たり前だろ!」以外の何かを答えることができるでしょうか?

 

「多数派の意見だから、何?」

 

と問われると、答えられそうで答えられない、何か不愉快でもどかしい思いをするのではないでしょうか。

 

ここに、「多数決とは何か」の本質を見抜くことができます。

すなわち、「なぜ多数決か」を突き詰めると、得られるのは論理的理由ではなく、多数決では「多数派が賛成している」という共通の状況を見ることしかできません。

 

したがって、「多数派が賛成している。だから、それに従う。」ではなく、

 

「多数派が賛成している。それに従う。」

 

これが、多数決です。

突き詰めると、実は根拠が無い。これが、多数決の本質です。

 

次回の「ロゴスの間」では、多数決の「背景」に迫ります。

多数決に論理的根拠はありません。しかし、ある「思想」を認めると、多数決という決め方がピタリとはまり、(思想的)根拠を得ることができます。この多数決の背景となる思想を明らかにします。

 

次回もどうぞご期待ください。お楽しみに。

 

 

皇紀2680年1月8日