2021年1月15日
先週の「ロゴスの間」(多数決と政治(2)多数決とは)では、「多数決とは」を問いました。
「多数派が賛成している。それに従う。」
これが、多数決です。
ここで、「なぜ多数決か」を問うと、実は論理的根拠を得ることはできません。
これが、多数決の本質です。
しかし、集団がある「思想」を共有すると、その集団にとって多数決は適切な決め方となります。
多数決は当たり前とさえ考えられるかもしれません。
それが、集団の中では皆「平等」である、という思想です。
もし集団の中では皆平等であれば、誰かの考えが別の誰かの考えに優る(または劣る)ことはありません。
また、誰かの幸せが別の誰かの幸せに優る(劣る)こともありません。
誰かの欲求が別の誰かの欲求に優る(劣る)こともありません。
ゆえに、集団の中では皆平等であるならば、その中で多数派の意見は、正しさ、または人々の幸福において最大である提案です。
したがって、集団の中では平等思想が共有されているならば、その集団の中で最も適切な決め方は多数決です。
これは、多数決の「背景」には平等思想があることを意味します。
このように、多数決を是とする根拠は、論理ではなく思想です。
それが、「平等」思想です。
ちなみに、
「平等は当たり前だ!!」
「平等は思想ではない。真理だ!!」
と考えている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、「平等は当たり前だろ!」と言われる限り、私は「なぜ?」と永久に問います。もちろん、私が求めている答えは、思想ではなく(宗教でもなく)論理です。
平等が「真理」である(論理的)根拠はありません。「いや、ある!あるはずだ!!」と思われる方は、気がお済みになるまで永遠にお考え下さい。
平等は、真理ではなく「思想」です。
この「思想」が、多数決の「背景」です。
次回の「ロゴスの間」から、やっと本題です。
次回は、議会政治における多数決の意味を考えます。
次回もどうぞご期待ください。お楽しみに。
皇紀2680年1月15日
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