2021年3月12日
前回の「ロゴスの間」(多数決と政治⦅6⦆多数決の正しい利用法)では、
「議論を尽くした時点で国会の意思を国会議員の多数決に委ねる」
これが、国会議員の多数決の正しい利用法であることを論じました。
逆に、議論を尽くしていない段階で多数決を強行する。これが、国会議員の多数決の悪用・乱用です。
なぜなら、国会議員は国民を代表して話し合う人だからです(多数決と政治⦅4⦆『国会議員』の意味)。
国会での議論が不十分であれば、国会議員は役割を果たしていません。
国会議員の意義は、国会で議論することであり、多数決に参加することではありません。多数決は、あくまで採決の手段です。
国民は、選挙を通して国会議員を選びました。これにより、国民は、国会での話し合いを代表者に託しました。
選挙は、法案や政策について国民の賛否を問う機会ではありません。国民は、選挙を通して法案や政策の多数決に参加したわけではありません。
したがって、もし国会で多数決が強行されるのであれば、それは議論を無視し、国会議員の意義を無視し、選挙の意味を無視する、「決めるだけ」の政治です。
政治は、「決めるだけ」であっていいのでしょうか?
国民が対等に話し合う、しかし国民全員ではできないから代表者が話し合う。
私は、このような話し合う政治、議会制民主主義が日本の衆議院であってほしいと考えています。
多数決は、採決の手段であり、それが政治であってはならない。
望ましい政治の本質は、話し合いである。
これが、本連載「多数決と政治」の結論です。
いかがだったでしょうか。以上で、連載「多数決と政治」はおしまいです。
全7回にわたって読んで下さり、考えて下さり、ありがとうございました。
最後に、話を最初に戻します。
安倍政治では、よく「強行採決」という言葉を見聞きしました。
これはメディアの報道であり、実際に安倍政治で強行採決が行われたという証拠ではありません。
私は、ここで安倍政治を検証するつもりはありません。
ですが、もし安倍政治で強行採決が行われていたのならば、安倍政治が国会での議論をないがしろにしていたのであれば、議論を封じて「決めるだけ」だったのであれば、国会議員に仕事をさせなかったのであれば、国会議員の意義を考えたことが無かったのであれば、選挙の意味を考えたことが無かったのであれば、決める「だけ」が政治と考えていたのであれば、そもそも政治とは何かを考えたことが無かったのであれば、それは極めて恐ろしく、おぞましい政治だったと考えられます。
果たして、安倍政治は、話し合う政治だったのでしょうか?
そして、現在の政治は、話し合う政治なのでしょうか?
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